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zoom RSS 個人を考えるのか、社会を考えるのかで、立場が違う

<<   作成日時 : 2016/08/24 14:10   >>

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 ヨーロッパの「people」は「人々」のこと、「public」は「公(こう)」のことで、
「ひとりひとりが集まってひとつの集合体をなす」ことで、そこの集まりに
は主体的権利があるのです。

 この手法は大切なのですが、ここでの「ひとりひとり」とは、「人々」ある
いは「ひとりひとりの集合体」の、構成要素としての平均的な単位のこと
で、ペストに罹るひと、罹らない人の違いは、どうでもいいことなのです、
ですからペストに罹る人がいると、罹る人、罹らない人を見て処方するの
でなく、社会を塊りとして守ろうとする要素も最初からあるので、罹らない
人にとっては、強制(義務)になってしまうのです。

 罹る人、罹らない人の違いは個性なのですが、初めから個性は排除
されているのです、ヨーロッパの中でも、カール・マルクスという人は、そ
のことに気がついていました、マルクスは平均化された平等を「形式的
平等」と名付け、その範囲での権利行使のありようを「ブルジョァ的権利」
と呼んでいるのです、それは、今の世が、平均的だからです、だから将
来の、能力に応じての働きと調和のありようが、マルクスの頭の中にあり、
今の世の、平均化されるありようを、生存に十分に使う立場でした。

 そのマルクスは、喧嘩での手は速いのですが、文章にする時の手の動
きは遅いのです、喧嘩も文章も腕を使うのですが、頭を通すか否かで遅い
と速いとがありました、それと、マルクスの残された文字を見ますと、ヨー
ロッパは横書きで左から右に、書きますが、左斜めに向かって高くなって
いるのです、そして、200冊近いノートが保存されています、大英博物館で
ノートを取ったようです、これがマルクスの個性です。

 当時の人が言っていますが、マルクスの筆はとにかく遅いのです、それ
は頭の中でいろいろと考えているからです、物事の本質を考える傾向があ
ったようです、文字が左に傾いているのは、体が左に捻じれているからです、
この捻じれと喧嘩で手が速いのは同じです、体を動かす時は「なに、くそ」と
捻じるからです、それとノートです、図書館の本の抜粋です、著者の発想を
盗んで、自分の体を通して、その発想を自分のものにしているのです、今の
世では、マルクスの言う法律が保護している「ブルジョァ的権利」である著作
権の「侵害」や発想の「盗作」にあたる行為になりますが、ヨーロッパでいう
「一」は絶対神ことで、これ以外の「思いつき」は大変なことにあたりますが、
マルクスは「一」以外を自由に「閃いた」人だったからでしょう、わたしもそう
ですが、鉄棒の逆上がり(さかあがり)を身に付けたのは、できる人の動作
を観察して、それで自得をしたのですが、そのことが法にふれるようになる
とは、ずいぶん生きづらい世の中をわたしたちは構築したようですね。(つづく)

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