意志が弱いということ

 子どもの頃、夏休みの宿題があった。
毎日つける日記、絵日記だったかもしれない。
いつも8月31日にまとめて書いていた。

 その度(たび)に、「来年こそは、毎日やろう」と思った。
しかし、その思いは続かなかった。

 大人になっても、こんなことは度々(たびたび)ある。
月刊紙の編集に携(たず)さわつたが、やはり同じ繰り返しであった。

 なぜ同じことを繰り返すのだろうか。   
どうして思いは続かないのだろうか。



 「意志が弱い」と云う人がいる。

 実際にやるのは体(からだ)である。
運動系の問題である、行動になるのは、意志を背骨に伝えると、
興奮するからだ。

 では、行動にならないのは、
1、この興奮が鈍いと、末端まで力が伝わらない場合、
2、意志があるが、体を動かすエネルギーが集まらない場合、
3、あるいは、意志を末端まで伝える神経が鈍っていた場合、
4、あるいは、神経はちゃんと伝えても筋肉が硬くて応じられない場合
などが推測できる。

 1なら、背骨の問題である。
 2なら、腰のこわばりをとることである。
 3なら、神経の鈍りを解消する問題である。
 4なら、頭が弛んでいるのを締めることである。 


 「計画が必要」と云う人がもいる。
 
「これをやろうと思った、でも先にやれと云われたので、やりたくなく
なった」と何度か思った。
心の問題は、生きていると云うはたらきの現れである。

 行動することは心の問題でもある。
1、頭の中で解決までの工程が完成すると、次のことがやりたくなって
  しまう場合がある。
2、行動するエネルギーを集める続ける体力に乏(とぼ)しい場合がある。
3、その反対にエネルギーを集めすぎて、鬱滞する場合がある。

 1なら、その意欲を育てる必要がある。
 2なら、体力を養わねばならない。
 3なら、エネルギーの鬱散の方法の問題である。



 私の場合、宿題も月刊紙も締め切りに追い込まれて、やっけ仕事で、
どうにかできた。
だから、体の問題ではないようだ。

 では、どこなんだろうか。

 締め切り、やっけ仕事の経過は、エネルギーの鬱散方法が課題と
教えている。
大人の鬱散は、仲良くするなり、散歩したり、風呂などの方法がある。

 子どもの頃、試験の前、よく走った。
とにかく体を動かさないと机の前に坐れなかった。

 でもだいたいは時間切れであった。 


 さらに月刊紙の編集でかなり資料を収集した。
さいたま市や埼玉県、あるいは小泉構造改革を追っていたので、
刺戟を受けて次から次の資料集めは、その反応であった。

 しかし、記事に完成しなかった。

 この経過は、意欲が旺(さか)んだが、記事にするための自分の手が
遅かった、ことを現わしている。
それで体への刺戟が直接行動になることが速く、頭を通すことが
遅いことが解る。

 この課題は記事にする意欲を育てることになる。

 で、どうするか。

 体は行動する、しかし、頭を通すには、時間差がある。
体が行動するときは、楽しいことを想像しているのだろう。
しかし、頭への時間差があるので、その想像が続かないのだろう。

 だから、間をもうけて、さらに楽しいことを想像するように誘導すること
である。
もうワンプッシュである。



 一昨年の12月23日、大宮での講演で、参加者から宿題を頂いた。
本を書いて、体験を国民に還元しなさいと。
ようやく行動できそうであるきょうこの頃になったのである。


 さて、これと重なるのが、高校生の自殺、教師の暴力の事件である。
教育とは、体を支配しているエネルギーのコントロールを誘導すること
ではないだろうか。

以上

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